カテゴリー別アーカイブ: 車両

久しぶりに棠渓に出撃、7月31日

この日は平日だったけど、代休をいただき朝から棠渓に出撃。久しく棠渓に撮り鉄に出かけていなかったため、何時に何の列車が来るのか忘れていた。撮り鉄をする際必要な情報は列車の遅延。5月20日以降華鉄在線がまったく使い物にならなくなった代わりに、12306サイトの方でようやくアップル製品でも時刻表の遅延情報が分かるようになった。

さて、サボっている間に5月20日と7月1日のプチダイヤ改正が2回行われ、広東地域を除く地方では列車の新規追加や機関車の置き換えなどが進んでいますが、広東では相変わらず安定したダイヤが続いている。強いて言うなら緑皮車が完全に消滅(通勤車を除く)したことと、和諧D1Dがじわりと勢力を広げつつあることだろう。そういや韶山9G型は広州〜北京間のZ列車ではまだまだ主力機となっているが他の快速列車などでは見なくなった。やはり和諧の新型配備の影響はジワジワ広がっているのだろう。韶山8型は相変わらず快速とZ列車を中心に牽引している。

この日は朝から荷物車の運転があったようで、7時55分前後に棠渓を通過。しまった! と思ったら8時24分に帰って来た。まさか大朗で折り返してきた訳ではないと思うが、このポジションでのXL25Tの専用列車を撮るのは初めて。
荷物車2 荷物車_1

Z列車の25T系客車の緑塗装化が顕著のなか、ハルピン〜広州東を結ぶZ235次は緑皮車の上から白地の広告をぺたぺた貼るようになった。昨年末の全国での車両への広告掲載が解禁になったら、どこもかしこも美的を損なう広告を遠慮なく貼ってくれる。
Zハルピン

ウルムチ鉄路局のZ138次は緑に毒されていないが、青帯の下にボソボソ文字が入っている。
ウルムチ行き

Z35/36次(Z201/202次)、Z97/98次、Z99/100次は客車の緑化こそ進んでいるものの、広告に毒されてはいない。
z202 z99 z97 z35_1

久しぶりに見た作業車は、こちら側が撮っている線路に入庫するためにやって来た。これで大連〜広州のT369次が被られた。
作業用車 被られた

これまでの鬱憤を晴らすかのように撮っていたが、そういや鄭州〜広州のZ189次は見ていないなあ。貨物列車は東風4型が元気よく貨車を牽引していた。この超安定な景色はいつまで見続けることができるだろうか。
貨物_2 貨物_1

広州発北京ホテル到着まで24時間

4月2日の午後から北京に向かうべく14時に広州を出発した。珠江新城からタクシーに乗り、約40分の63元。
広州南から長沙南まで高鉄に乗っていくが、数日前まではすべて一部の列車しか切符残席がなく、仕方なく汨羅東行きのチケットを買って途中を棄てて広州南で降りるか悩んだが、その後長沙南まで行くチケットをゲットできたためホッとした。切符は二等席で314元。汨羅東行きは349元だった。三連休2日前だというのに、広州南駅はかなり混んでおり、嫌な身分証とボディチェックを受けなければいけなかった。
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乗車するG6002次は深圳北〜広州南〜長沙南行きで、使用車両はCRH3、広州南発車後はノンストップだ。15時半に発車を発車、2時間22分という俊足で18時前には長沙南駅に到着。座る予定だった1号車のA座席にはすでに先客がいたが、その人が本来はC席だったので通路側のままで過ごした。広東省から湖南省にかけての沿線は、新緑が萌える季節だったせいか、普段よりもきれいだった。
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長沙南駅から長沙駅までは14年4月末に開業した長沙地下鉄2号線で移動。7駅20分3元。
運行本数は8分に1本で、1編成6両編成。これができただけで、在来線駅と高鉄駅との行き来が随分楽になった。
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長沙駅のマックで仕事をしながら時間を潰したあと、20時前に長沙駅に入る。かつては1階に軟席候車室があったはずだが、今は商務候車室に改装されており、軟臥客は10元取られた。入り口に毛沢東の石像が建っており、奥に行くと幾つもの待合室が用意されていて、乗客は好きな場所で休憩を取ることができた。Wifiもあるが、サーバーにアクセスできない。
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発車30分前にT2次改札のアナウンスが始まり、地下から地上のホームへ向かっていく。中国の地方駅は小高い丘の上に造られていることがあり、乗客は設けられた一方通行のホームへの地下道を抜けてホームに上がる。こういう類いの駅は広州駅、ウルムチ駅、長沙駅などがある。

2番線ホームには久々に乗る25K系車が待っており、乗車する軟臥車のみは今後の客車の統一基準である緑色に塗られていた。軟臥車内は至ってオーソドックスな内容で、車内に電源はなし、Wifiが飛んでいたもののこちらもサーバーにアクセスできなかった。
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T1/2次は1975年9月29日に誕生した特快列車で戦後の中国鉄道60年史を鑑みれば、中期辺りの登場といえるが、当時は中ソ紛争と文化大革命の影響もあってか北京〜モスクワ間の1/2次列車が19/20次に変更され、栄えある1/2次列車は毛沢東出身の長沙と北京を結ぶ列車に宛てがわれた。

中高年以上人は、この列車が中国で一番早く登場した列車だと勘違いしている人も少なくなく、筆者が別の特快に乗車し、相部屋の中国人が私のことを鉄道ファンと見ると、「中国で一番早く登場した列車を知っている?」と2、3回ウンチクを聞かされたこともあった。

1998年のダイヤ改正から25K系客車を宛てがわれ、当時は北京行き花形列車として高級軟臥車も連結して運行していた同列車も04年のZ列車、12年のG高鉄といった中国鉄道の最新シンボルが登場するたびに廃れて行った感は否めないというのも、分かりやすい一例が乗務員の質である。高速鉄道なら品も格も揃った将来幹部候補のエリート揃いに対し、T2次の乗務員はふてぶてしい態度か、ひたすら携帯電話を弄り回しているか、そんな程度の寄せ集めだった。乗客目線からおいしいところは同じ区間を走る現在の花形列車に吸い上げられてしまっていると感じてしまうことは否めない。
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それでも毛沢東出身地と北京とを結ぶ列車というブランドイメージを崩さないために、中国鉄路総公司は和諧3D型1898号の毛沢東号を始発から終点まで専用機関車といて14年末に配備したのである。1機しか配備できていないため、当然もう1列車には普通の和諧3D型が牽引することになるが、T2次は北京到着後は車両基地に搬送されずそのまま折り返し運転となるため、その際毛沢東号がすでに連結のため駅手前で待ち構えており、そこを撮影=狙えるということになる。

21時半にT2次は長沙駅を後にした。途中岳陽、武昌、鄭州と停車し、翌朝目が覚めたときは9時過ぎ邯鄲に停車する前だった。遅延はまったくなく、むしろ5分速く到着したため途中停車時間も5分延びたということだった。朝食は15元の辛い米線を食べた。
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その後、石家庄駅を発車後、列車は高速鉄道と並走する形で同じく地下に潜り、石家庄北近くで地上に出てくる。旧駅の場所は再開発をしているに違いない。

保定駅では27分間の停車。ここではZ56次、Z35次、Z286次に抜かされた。やはり毛沢東号牽引機だったとしてもそのヒエラルキーを覆すことは叶わず、半ば都落ち特快というイメージは避けられない。
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北京駅には定刻より3分早い14時16分に到着。ホーム手前の別線路では毛沢東号が停車していた。折り返しは15時25分の発車だ。
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今回の乗車距離は707km+1593km。2300km。
私の乗車距離は46万842kmです。

12月に25T車の昆明〜北京便が登場

12月、昆明〜北京西間でT240/239次が運行することになった。T62/61次、K472/471次に続く第3の北京行きの長距離列車は昆明鉄路局初の25T型車を採用。全車両食堂屋を除きすべて寝台車で構成されており、そのうち軟臥車は2両、硬臥車は13両、食堂車1両の内容となっている。
全区間、雲南、貴州、湖南、湖北、河南、河北、北京の6省1市を跨ぐ3174キロのなか、昆明発のT240次所要時間は35時間44分、北京西発のT239次所要時間は片道37時間49分で結び、途中停車駅は貴陽、長沙、岳陽、武昌、鄭州など22ヵ所。
北京は朝6時台の出発なので早起きが相当大変なことが予想される。

本来なら11月20日運行予定が来月になったのか。行けるとなると5678かな。

中国鉄道博物館訪問

今回は6日発T201次に乗車する前、午前は中国鉄道博物館東郊館観光と午後の発車前まで蓮花東路の四環路近くの歩道橋からの京広線撮り鉄を行ってきた。

中国鉄道博物館のメインは、かつて自主開発を謳い中国が持つすべての技術を注いで完全に黒歴史化してしまった中華の星と外国輸入機関車がメインだった。

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2002年に完成し、272キロの速度で国内を湧かせた自主開発高速車両も、相次ぐ電気系トラブルといった信頼性の低さに泣かされ、当時の鉄道部による自主開発計画と量産化は断念。日本、カナダ、ドイツ、フランスから高速鉄道を輸入し、その技術を吸収してオリジナル高速車両を開発しようとしたものの、今のところICEとJR東の車両に手を加えて「自主開発」と喜んでいる感は否めない状況になってきている。
逆に、外側を中国側がデザインした高速車両は「安定したヘボ顔」で、工業デザインの未来が一切感じられない代物だ。自動車もそうだけど、中国国内向けのデザインは2世代以上古いものがまかり通っているから欧米ブランドに慣れた消費者たちの受けが悪いのではないか?

それはそうと、この中華の星、05年夏に瀋陽北〜山海関間で臨時特快として運行されたものの、結局は故障克服のメドが立たずひっそりと引退・瀋陽駅近くの引き込み線で放置プレイとなっていたが、何とか全車両スクラップ解体は免れたようだ。

ここでは中華の星の動力車、ビュッフェ車、一等席車、二等席車の4両が展示されている。

また、最近は現役でありながらも徐々に和諧電気に押されている外国製機関車も展示開始となった。お仏蘭西から導入され、北京豊台機関区で朽ちていたND4や豊沙線で活躍するお仏蘭西製のEHタイプの8K、ロシアとの国交回復を果たした後、輸入され太原で活躍している8Gがそれぞれ展示となっている。
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一時期閉鎖していた公務車が10元で3両ほど見学できるようになっていた。今回は見学を見送ったが、次回は行ってみたい。
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午後は蓮花路東の四環路とクロスする場所で京広線の撮り鉄を観光。途中まで曇っていたが、夕方から日が出たため逆光となってしまった。上手く撮れていないのが残念だが、現状はこれで我慢するしかない。

K1674次 西安〜呼和浩特に乗車

国慶節の3日目は、西安から呼和浩特へ行くK1674次の乗車した。この列車は15時24分に西安を発車し、太西線を北上。途中延安、綏徳、榆林、包頭を経由し、15時間後の翌6時54分に呼和浩特到着する快速である。所属は呼和浩特局包頭客運段。
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今回の乗車も軟臥。切符は発売直後にすぐ買えたからよかったものの、発車1週間前になるとほとんど売り切れている状態だった。大型連休の半ばといっても、需要がそれなりにあるのだろう。
牽引する機関車は韶山7Cでこの電気機関車は呼和浩特まで途中機関車交代なしで列車を牽引をしていく。車両は25Gで1号車が荷物車、2〜10号車が硬臥、11号車が軟臥、12号車が食堂者、13〜18号車が硬座の編成だ。電源が利用できた軟臥車はこの列車利用時の最大の恩恵だった。
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西安発車後しばらくは隴海線を走り、新豊から北に分岐する。今や延安まで動車組も走る太西線は複線電化区間となっており、同列車も新線を快走。ひと眠りして目を覚ましたときは、迫ってくる山と暗闇が周囲を覆いはじめていた。

食堂車は隣の硬座車から溢れ出た無座乗客で辺りを埋め尽くしていたが、食堂利用者と乗務員の食事のため逐一追い出されつつあったものの、窓際に座っている乗客は狸寝入りを決めて何とかやり過ごそうとする駆け引きが見てて笑える。
食事はお約束のセットメニューで、40元と全然安くないが、量はそれなりにあったのが救いだ。しかし、田舎路線のせいか列車長をはじめとする鉄道関係者たちが率先で禁煙ルームに喫煙を行うなど、秩序もへったくれもない無法地帯だったのはいうまでもない。
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列車は延安19時、綏徳21時20分、榆林23時と20分ほど遅れていたものの、夜明けには通常のダイヤで運行をしていた。夜明けは包頭を過ぎているときだった。包頭から東は石炭や物資を運ぶ貨物列車が頻繁に通る区間であったため、貨物と旅客の路線が異なる複々線化を果たしており、この区間は集寧南まで続いている。

この時期まだ作物が実っている。同行している友達曰く、これコウリャンかも

この時期まだ作物が実っている。同行している友達曰く、これコウリャンかも

オンタイムで呼和浩特に到着。しばらく駅西の跨線橋で撮り鉄をしたあと、再び駅に向かう。次の乗車は1時間半後のT316次北京西行きだ。

呼和浩特駅より西側の跨線橋。人民橋だったかな?

呼和浩特駅より西側の跨線橋。人民橋だったかな?

ホームで偶然見かけた呼和浩特〜二連行きのRW18AとYW18A。
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今回の乗車距離は1064キロ。
私の乗車距離は41万1234キロです。

長江デルタ鉄周遊

今日は、在上海在住日本人鉄と一緒に上海〜杭州〜南京〜上海というルートを乗り鉄した。集合時間は上海虹橋駅に朝8時。5時半に起きないと遅刻するので、辛い1日の始まりだった。

まず困ったのが、食料の調達。不幸にも虹橋駅では地下鉄構内に羅森や全家があって、一度外に出てしまうと切符を買わない限り中に入れない。一応、中国系のコンビニもあるけど、腐った社会主義サービスの名残がプンプン漂う雰囲気なので、店内を一瞥したあとすぐに出た。結局朝食は友達に買ってきてもらった。

ホームでは家族が楽しそうに記念撮影をしていた。初めて乗車するのだろうか?

ホームでは家族が楽しそうに記念撮影をしていた。初めて乗車するのだろうか?

列車はG7503次で寧波東まで行くCRH2C。この悪代官面で日本人からは評判の悪い?CRH2違法改造車とレッテルを貼られた車両は、今でも生産を続けており今回乗った車両も壁紙がチープな木目仕様となっていた。東北エリアを除く全国で現在も走っている。

途中、嘉興南、海寧西に停車。
上海虹橋から杭州東まで58分、159キロ。

杭州東駅の存在を知ったのは、00年北京から夜行で杭州へ行く際ガイドブックで調べていたら、広州駅が改装中で杭州東駅が拠点となっているから注意せよと。結局、行ったときは杭州駅そのものが新しく完成しており、見に行った東駅はただの田舎駅だった。あれから13年後、新しく高鉄専用の駅として登場した杭州東駅は、お約束の巨大な箱ものとなって姿を現した。

駅前広場はまだ工事中。取りあえず箱ものを作っておけばOKなのだろう

駅前広場はまだ工事中。取りあえず箱ものを作っておけばOKなのだろう

北側は車両基地専用の線があるが、Nゲージのようなカーブのがそのまま高架になっており、俯瞰撮影すれば絶対楽しい場所となる。

杭州東から南京南までは今年7月に開通した寧杭高鉄を経由するG36次に乗車。こちらはCRH380ALで、今や中国高鉄の顔ともいえる。もともとこの区間の在来線は、南京〜蕪湖〜宣城〜長興〜湖州〜杭州という迂回ルートだったが、高鉄では徳清〜湖州〜句容西間を停車する。イメージ的には太湖の西を走る路線と考えてもらえればいい。杭州東〜南京南間の256キロを約1時間半で結ぶ。最高時速は304キロだった。
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南京南駅で南京駅から上海南駅まで戻る在来線の切符を買おうとしたら、この駅は高鉄用の切符しか売らないとの一点張り。地方の何もない駅ならともかく、高鉄が停車するターミナルにおいて、なぜこんな非常識がまかり通るのだろうか?不便きわまりない。

南京南から南京までは地下鉄で移動。約30分。

南京で無事にT7785次の特等軟座切符をゲット。この切符110.5元で、04年に乗った129元のときよりだいぶ安い。また、南京〜上海の高鉄が二等164元、一等233元(10年当時)を考えれば、お得感だけはいうまでもない。
この列車は南通から上海南を経由して蘭渓へ行く特快でかつては「西柚号」という別称がついていた。車両は上海局特注のRZ25Kで、特等座、一等座、二等座の編成。20分ぐらい遅延していた。
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乗車したら車内は我々以外は乗客ゼロ。列車長が仕事をしていたくらいの閑散さで車内撮りとしては最高の環境。横一列1+2のゆったりシートはCRH380二等席よりもずっと快適。また、シートの配列が違う個室が1室ずつある。
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00年前後に登場してもう13年以上活躍しているがさすがに車内の老朽化がかなり目立っていた。09年までなら、特等席でもそれなりに乗客はいたが、高鉄の開通により南京〜上海〜杭州間はごぞって高鉄へ移行してしまい、今では花形列車もローカル旅客として細々と営業を続けている。
途中、ご丁寧にも鎮江、丹陽、常州、無錫、蘇州に停車をし、昆山から短絡線に入る時と上海南駅手前で入る時はスローの連続で、結局20分遅れて上海南駅に到着。南京からほぼ4時間かかったのだ。
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最後は同じホームに入ってきた芦潮港からの列車が周恩来号だったため、こちらも記念に撮影。上海南駅を後にした。315キロ。
周恩来号

春節以来、久しぶりの超プチ乗り鉄でした。

今回の乗車距離は730キロ。
私の乗車距離は40万8491キロです。

広州棚車乗車 08年2月

Saturday, February 16th, 2008

三眼橋~広州西~江高鎮(広州北花都手前)には「上班車」と呼ばれる緑皮車YZ22×4編成の鉄道職員専用の列車が走っているが、2月~3月の春運期間中は臨時列車増発のため、これらの客車も臨時用として狩り出されるため、その穴を埋めるために有蓋貨車が客車扱いで運行される。実は12、3年前まで、中国では客車の絶対数が足りず、代用として有蓋車を何両も連結し、「棚車」として非空調硬座よりさらに安い料金で出稼ぎ労働者に提供していた。

しかしながら車内設備はいうまでもなく悲惨で、藁の絨毯に馬桶トイレしかないというすし詰め方式で、乗り心地は悪く、一般人は乗りたがらないのは当然だった。やがてダイヤ改正と新車増産により、棚車は過去の歴史となりつつあった。
ところが、去年の中国の新聞に広州西~江高鎮の棚車特集が紹介されており、現存していることを確認。棚の発音がカナダ車両メーカー、ボンンバルディア(龐巴迪・pangbadi)に近いことから、「棚巴迪」(pengbadi)というユニークなネーミングがつけられた。そして今年の春運も沿線撮り鉄で棚車を確認。せっかくの機会だからということで、この棚車乗車目的のため、朝早くから広州西にタクシーを飛ばした。

広州西駅は、本来は佛山など三茂線と結ぶ貨物専用の駅だが、春運になると臨時列車の停車駅になる。また建物自体工事しているため、駅出口しか出入り口の存在は知らなかった。しかもこの日の朝臨時列車が到着したことで、車内から吐き出されるように沸いた客の列が15分以上も途絶えることがなく出口まで続いたため、駅構内には多くの武警や公安が張り付いており、駅へのこのこ侵入しようものなら捕まってお叱り以上の酷い目に遭う(パスポートはビザ更新のため会社にお預け)とびびってしまい、駅侵入がためらわれた。

仕方なく西駅に架かっている跨線橋を上ると、先ほどの臨時列車の姿はなく、ホーム上にはパラパラ人が集まりっていた。そして薄暗い夜明けのもやのなか、佛山方向から赤いDF4Bがギラついたライトを照らしながら茶色の貨車を牽引して、広州西にやってきた。このとき7時15分。今回は偵察のみで見送りか? とあきらめモードになりつつあったが、近くのホーム敷地内へ続く鉄格子の内側の扉が開いているのを発見。吸い込まれるようにホームに進入し、気づいたらそのまま貨車に乗り込んでいた。
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行きの時間
7:15広州西入線→7:31発→7:40機務段→7:45棠渓→8:00大朗→8:09→8:15→8:20→8:25江高鎮着(片道16キロ)

列車は7:31に広州西を発車。8両編成の有蓋車のなかは当然座席などなく、さすがに馬桶のトイレはなかったものの、ベンチのような長椅子が置かれていた。扉は開けてあるが転げ落ちないように鉄の棒と梯子が置かれている。ちなみに梯子はホームのない駅? に停車をしたとき、これを使って乗り降りを行う。各車両には乗務員が1人付いており、切符は彼から直接買う。広州西から江高鎮まで片道3元だ。

途中数箇所停車をしながら、貨物線をのろのろ運行。スピードはおそらく12キロ前後。京広線の3本ある線路のうち2本が本線で1本が貨物線だから、他の列車の邪魔にはならない。しかし、緑皮車にさえ、あっという間に抜かされたのは正直ショックだった。
一番飛ばしたのは棠渓→大朗の15分。とにかく車軸の底から突き上げるように響く振動は立っていたほうが楽というくらいひどかったが、隙間から直接入ってくる風だけは気持ちよかった。乗車する客層は国鉄職員がほとんどだが、行商の人も乗り込んでいるため、難易度は低い。行き帰りとも大朗で大勢の乗客が乗り降りする。

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大朗から江高鎮までは貨物操作場の中を進んでいく。途中停車した3箇所は駅名を見かけなかった。おそらく広州北貨物ターミナルの一部だろうが、とにかく広い。そして約50分かけた棚車も終点に到着。しかしながら幅広いターミナルの中心部分に停車をしてしまうため、周辺は全て線路。どこから出口に向かえばいいかさっぱり分からず、素直に折返し運転が始まるまで貨車の中に待機していた。

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戻りのダイヤ
8:45江高鎮→8:50→8:55→9:00→9:09大朗→9:25棠渓(9:45発車)→9:50機務段→9:55広州西→9:58三眼橋に向けて出発(江高鎮~広州西16キロ)。
帰りも大朗から棠渓にかけてスピードが出ており、30~40キロは出していた。しかし棠渓からは貨物列車の待ち合わせのため20分ほど停車。安全のために本線方面の扉は閉められ、真っ暗な車内は「暗いよ寒いよ怖いよ~」の状態となる。そして10時手前で広州西に到着した。その後出勤しました。
この棚車はおそらく3月2日の春運明けまで続くだろう。職員専用とはいえ、マニアックな棚車はまた来年も走るに違いない。
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今回は中国鉄道人柱隊隊長の面子にかけて乗車しましたが、次回は普通の緑皮車にトライしたいですね(棒読み)。