大秦線

大秦線 建設の歴史

和諧2が牽引する貨物列車
 
 大秦線の建設の歴史は、改革開放後、爆発的に伸びる沿岸部都市の石炭需要問題が背景にあった。1980年代後半から90年代にかけて、経済発展が著しい沿岸部ではエネルギーとなる石炭の需要が増大しており、とりわけ、火力発電は石炭に頼っているのが現状だ。
 そして、山西省の石炭は大同から豊沙線を使って北京を経由し、秦皇島に運ぶ輸送方法が確立していた。しかし、旅客路線との住み分けがないため、豊沙線の年間輸送量は1987年の実績で年間7900万トン(石炭は6500万トン)と飽和しており、これ以上の輸送力の増加は見込まれないことから、大同〜秦皇島間で新しい石炭搬出路の建設が必要になり、大秦線建設計画が立ち上がったのである。
 大秦線の建設工事は2期に分けて行なわれ、第1期工事は、西区間の大同〜大石庄間(京秦線に連絡)386kmと秦皇島〜秦皇島港間24kmの合計410kmが中国側の資金手当てに1985年に着手された。第2期工事は大石庄〜秦皇島の単線電化区間242kmが日本のODA事業である円借款により、1988年に着手、全線1991年に完成した。このうち、中国側の資金で全線複線工事を前倒しで行い、現在の状況に至っている。
 開通後、大秦線の年間石炭輸送量は年々増加しており、04年には1億1000万トンを突破。そして3年連続5000万トン増加となり、08年は3億5000万トンを目指している。
 

円借款の流れ

   最近日本で何かと話題になっている対中国ODA。大秦線は全距離のうち、242km区間のインフラ整備は日本の円借款で賄っている。そしてこれらのお金は、当然我々日本人が納めている税金から算出されていることは忘れてはならず、具体的にどういう使われ方をしているか知ることはとても大切なことだ。
 日本と中国の場合、1979年12月の「対中国円借款開始表明」により、2国間援助という形式で行なわれており、順調に隣国が経済発展すれば、日本の安定につながるという国益に沿った方針だ。そして、円借款自体は有償提供だが、返済期日が30年前後と低金利、長期返済と極めて緩やかな条件の貸付だ。

 

大同〜秦皇島間鉄道建設事業の概要

  今回、円借款実施を担当する国際協力銀行の資料のうち、02年度の円借款案件事後評価報告書から大秦線建設事業の概要を紹介しておく。
事業範囲
大石庄〜秦皇島間(242km)の電化単線の建設、
主要事業は路盤、軌道、橋梁、カルバート、トンネル、
電力・通信・信号、建築物、電車線、変電所などの設置
工期
1988年1月〜1992年12月
事業費
外貨
内貨
(現地通貨建内貨)
合計
円借款分換算レート
計画
184億1000万円
412億8300万円
(12億元)
596億9300万円
184億1000万円1元=34.4円
(1988年)
実績
159億円
781億8900万円
(23億300万元)
940億8900百万円
159億円1元=33.95円
(1992年)
借入人/実施機関
中華人民共和国対外経済貿易部/中華人民共和国鉄道部
借款契約
第1回
第2回
合計
円借款承諾額
121億3100万円
62億7900万円
184億1000万円
実行額
110億7300万円
48億2600万円
159億円
交換公文締結
1988年7月
1989年5月
借款契約調印
1988年8月
1989年5月
借款契約条件
金利2.5%
返済30年
(据え置き10年)
一般アンタイド
金利2.5%
返済30年
(据え置き10年)
一般アンタイド
貸付完了
1993年8月
1994年5月

 工事費用は全て日本側が負担するのではなく、中国側の内資(人民元分)との合賛によって事業契約が成り立っている。貸付は1988年と89年の2回に分けて行なわれ、完了は94年となっており、合計金額は184億1000万円となる。借款契約条件には調達先に一切制限がない「一般アンタイド」が盛り込まれている。ただ線路を敷設するだけでなく、沿線のインフラ、特に電化に必要な電力・通信・信号、変電所の建設も必要になってくるのだ。そして日本の支援が大秦線の躍進を支えているといっても過言ではないのだ。