T264次:広州〜ラサに乗車しました
切符の自力購入に成功

信じられない話だが、そういう緊急の情報を某旅行社からいただいた。予定として、12月30日から出かけるつもりだったが、広州の旅行会社曰く、広州→西寧までは出稼ぎである民工の貸切となるそうだ。
実はこの胡散臭いパターン、北京でも似た体験がある。08年の8月に北京のC○TSから、「T15次広州行きの軟臥が幹部占有となるため発売できない」という回答をもらったことがある。当然、そんないい加減な回答は信用できないため、機を見て町中の切符売り場に同じ事を聞いてみた。結果は、ある。当局の意味不明な通達?により、旅行会社はT15次の切符を扱えなくなっていたのだ。

その後、日を改めて30日発の軟臥切符を買いに行ったら、難なくゲット。オフシーズンとなる冬季は基本的にガラガラで、ひとつの車両で最終的にラサまでいったのは私だけであったというほど、冬季における各チベット鉄道のラサ行きの空き状況がうかがえる。
乗車1日目 広州〜武昌

軟席候車室に着いたのは発車1時間前。しまった、こうなることなら買出しをして置けばよかった!と後悔しても、スリが多くいそうな物騒な駅舎の中をウロウロするのは賢くないため、車内か途中駅で買うことに発想を切り替えた。次々と列車改札の案内が流れるなか、12:25ぐらいにT264次の案内もきた。ただし、ホームは指定されておらず、2階の第3候車室へ行くようにいわれた。
第3候車室がこの時間帯のチベット鉄道乗車専用候車室となっており、係員に切符を見せてホームへと向かう。しかし、1番ホームと聞かされたものの、列車なんぞ停まっていないじゃん? と不審と周りをきょろきょろ見回すと、同じ1番ホームだけど、臨時列車に使いそうな場所にT264次は停車していた。これは予想外だった。

まだ時間があったので、先頭車へ行き、広州から鄭州間を牽引する広鉄広段のSS9Gを撮影。中国でホームの出入りの自由がないため、これを機会に思い切り撮らせてもらった。これは乗車前の最大の楽しみだ。

通路のLED表示は、中国語だけだが、車外気温、時速、海抜、次の停車駅と到着時間が表示される。なかでも海抜表示は高度地域を走るチベット鉄道には欠かせない表示であり、今どの高さにいるかが十分良く分かる。車内は暖房が効いており、ダウンジャケット着用だと十分に暑い。
これほどいい素材を持つ車両でも、しかし悲しいことに、所属する局はサービスの悪さでは他局の追随を許さない広州鉄路集団公司である。液晶モニターの不備、車内電源の接触不良など、手入れが悪く、放置プレーにより車両の質を落としているから救いようがない。


列車は、定刻の13:07に広州駅を発車。55時間を要する乗車の旅が今始まった。乗務員は1車両2名が乗車している。サービスの質は長距離列車という中だるみ勤務形態のため、08年12月28日に乗車したT15次よりも劣る。とにかく乗務員同士の間で無駄話が多く、D列車やZ列車の乗務員と見比べると、凛と感じさせる雰囲気ではなかった。駅停車中の決まりごとである使用禁止のトイレも勝手に鍵を開けて使用したりと、ある意味広州鉄路集団の最下層レベル連中の寄せ集めである。同グループのZ列車(Z17/8次)の乗務員の足元にも及ばない。

列車は19:55に長沙駅に停車。予定より9分早い。長沙へ入る前は、通路のLED表示をずっと眺めていた。
広州から長沙までの平均速度は100キロ弱。また、嶺南山脈を通過しているときは海抜は130メートル前後。長沙市内に入ると、海抜は20メートル台まで下がっていた。次の停車駅である武昌駅には駅手前でノロノロ運転と臨時停車で10分遅れ、発車も23:55の15分遅れだった。しかし、そこは時速160キロのチベット鉄道。そんな遅れを取り戻すには時間を要さず、31日の西安駅到着にはすっかり定刻となっていた。
乗車2日目 西安〜西寧

西安までの道中、8時過ぎにようやく太陽が昇ったと実感するほど朝は遅い。潼関、華山と山に囲まれながら列車は大きくカーブをするたびに減速。山に沿って建設した路線のため、隴海線のボトルネックの原因となっているひとつの理由だろう。それでも西安近くにはペースを取り戻し、10時過ぎたけど、ほぼ定刻で西安駅に到着。10時だというのに駅構内は朝もやで覆われており、外の温度はマイナス5度を表示していた。

西安から宝鶏までは線路は、ほぼストレートのため、時速150キロ近く出ていたものの、宝鶏を過ぎるとペースダウン。宝鶏〜天水間は渓谷の中を走るため、最初はスロー運転となるが、隴海線の下り線は高速規格を持つ路線のため、130キロ近くまでは出ている。ただし、トンネルが多いため。携帯パケットレベルのネット接続状況は全然よろしくない。天水を過ぎたあたりの海抜は1185メートルだった。
16:30に蘭州駅に到着。2日目の車両に引こもりっきりの長い退屈な時間が終わった。青局寧段の重連のDF4Dと電源車のKD25Tを連結し16:45に発車。この駅で同室の乗客は降りてしまい、実質私ひとりとなった。

乗車3日目 ゴルムド〜ラサ
2009年となった、1月1日6時半にゴルムド駅に到着。当然まだ真っ暗で外に撮りにいく元気もない。列車発車後再び寝て、起きたのは8時半過ぎだった。気圧制御装置が作動する音と、酸素が噴出される音が聞こえてくる。しかし、私のベッドにある酸素供給口は壊れているのか、酸素は上段ベッドのみ出ていた。さすが、広州鉄路局集団公司管轄車両。欠陥だらけだけど何ともないぜ!
薄暗かったときから雪に覆われていたのは知っていたが、まさかこれほど曇っていたとは思わなかった。上から下まで真っ白の銀世界。晴れていたら最高だったけど、今回はしょうがない。ただ、タングラ峠を越えればかたチャンスがあるかもしれないのでまあいいか。線路の近くでぶ厚い毛に覆われたヤクの群れを発見。やっぱりチベットは違うと感じさせるひとシーンだ。
しかし、こんなくそ寒い山の中だというのにネット接続は昨日の天水や西寧より全然いい。路線が観光向けだから通信には金かけているんだな。

野生動物の群れもチベット領内に入ってからは頻繁に目にするようになり、ようやく高原らしくなった。しかし外気温はマイナス10度前後に達しており、個室内は暖かいが、通路はダウンジャケットがないと結構厳しいくらい冷え込んでいた。
15:10にアムド(安多)駅を通過。15分ぐらいすると、北側にツオナ湖が見える。残念ながら凍っていたけど、夏になれば碧き水をたたえているであろう。しかし、湖の周辺は砂漠化が進み、ところどころ砂塵が舞っている。私の乗車した車両は、一ヶ所だけ窓が開閉できるが、中国製25T車と比べ、窓の隙間はカメラが入らないほど狭いため、終始窓越しの撮影となった。

あらかじめ1号車へ移動し、NJ2が停車している先頭車まで小走りで向かう。そして、2〜3枚撮影後は、小走りで1号車に戻る。
さすがに海抜4500メートル越えている駅だけあって、少しでも走ると息が切れ、頭がクラクラしてきた。これは非常にまずいと思い、部屋に用意してあったペットボトル水を一気に飲み干した。あとは、横になる。
19:00にダムシュン(当雄)駅を通過。ここからニェチェン・タングラ山脈が見えるのだが、もう暗くて撮影はおしまい。チベット族の集落が多く、いたるところでヤクの放牧が見られた。陽もすっかり暮れた夜、列車は蛇行で進みながら高度を下げていき、気付いたら暖房と酸素供給が止んでいた。どうりで部屋が寒いわけだ。つーかまだ終点前ですが、なんでそんなことをやるの? ほんと、広州鉄路集団公司の最下層乗務員のすることは分からない。

駅からラサ市内へはラサ河に新しい橋ができたため、移動が楽になった。そして、ライトアップされたポタラ宮を通り過ぎ、今回お世話になる香巴拉酒店に到着。頭が重いため、薬を飲んですぐに寝た。
総評

また、パーミッションは、旅行会社からのFAX用紙でもオッケーになり、原本はガイドが持っている。ちなみに、この列車ではパーミッションのチェックはなし。しかし、ラサ市内のホテルへチェックインするとき、パーミッションの原本とFAX用紙を一緒に出すことが決まっているため、パーミッションは絶対取得しなければいけない。