第6次ダイヤ改正
ダイヤ改正今昔物語
1997年以前
改革開放が叫ばれて久しい中国だが、鉄道に関しては冬眠中の状態で、ダイヤ改正どころか、サービスも最悪で、なおかつ悪名高い外国人料金すら存在した(1996年中廃止)。まだ緑色と紅色のDF4Bが特快を牽引し、蒸気機関車すら幹線で客レを扱っていたくらいだから、蒸気ファンにとっては天国といえる時代だった。電化区間もあったが、河南・陝西を中心とした幹線だったため、スピードアップとは無縁な存在だった。この時代の客車の中心は、一部の特快で空調車両(25G)が使われていたものの、主力は緑皮車と呼ばれる22系や24系・25系が主力だった。料金値上げ(外国人料金廃止)までは、乗車料金の他に空調(エアコン)料金もぜいたく税として別徴収されていた。
当時の一番速い列車は特快で、頭には何も付かず、時刻表表示なら、2桁までが特快、3桁以降は直快〜快客という扱い。しかも短距離間を結ぶ列車は2階建て客車(SYZ25B)主力のY(旅游)列車扱いだった。例外として、広州〜深セン・香港地域では時速160キロを越える城際列車が既に主流になりつつあった。直達特快もあったが、現在とは全く別物。
1995年に北京西駅開業。1996年に京九線開業。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…約17時間、上海〜ウルムチ…約75時間、北京〜広州…約31時間
1997年4月、第1次ダイヤ改正
記念すべき、中国鉄道スピードアップ第1弾。京広線、京滬線、京哈線の3大幹線を中心にダイヤ改正を実施。200キロ〜1500キロ運行の優等列車には特快よりも速いK快速として扱われるようになった。1997年5月から7月1日・香港返還に向けた、北京西と上海から香港直通列車の隔日運行が行われ、登場した車両は25Kシリーズ。首都から香港直通はもとより、全編成寝台とシャワー室が付いている2人用デラックス車両、高級軟臥などが話題を呼び、当時、日本のマスコミでも取り上げられた。
当時、広州東〜深セン・香港間の列車にはZ(準高速)の頭文字が付いた。
速度の範囲は、時速120キロ越えの距離、1398キロ、時速140キロ越えの距離、588キロ、時速160キロ越えの距離、753キロ。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…約15時間、北京〜ハルピン東…約15時間、北京西〜香港…約30時間、北京西〜成都…約31時間、広州東〜深セン…約70分
1998年10月、第2次ダイヤ改正
引き続き、第1次ダイヤ改正と同じ幹線で速度アップが行われた。K快速の扱い範囲が拡大したことも注目点のひとつ。ダイヤ改正直前に、広州東〜香港間で時速200キロ、X2000こと新時速と香港KCRの豪華列車・KTTが登場。新時速の頭文字にはG(高速)が付いた。1999年にはディーゼル動車組が登場。ハルピン地域(北亜)と上海地域(新曙光号)で運行開始。また南京〜上海・杭州では、特注し様の特等軟座を連結した、オールRZ25K編成列車・「紫金号」が運転開始。敷き詰められた絨毯と1+2構成された、座面が広くレーザー張りのぜいたくな座席は、この地域に住む市民しか乗れない特殊な列車だった。
上海市の南方面の始発拠点となる梅隴駅が登場。杭州を結ぶ城際列車が運行始めている。昆明では、同年の世界園芸博覧会に合わせて、電車動車組、春城号が誕生している。
速度の範囲は、時速120キロ越えの距離、6449キロ、時速140キロ越えの距離、3522キロ、時速160キロ越えの距離、1104キロ。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…14時間、北京〜ハルピン東…約12時間、北京西〜広州…約24時間、北京〜成都…約31時間、上海〜ウルムチ…約62時間、広州東〜香港…約90分
2000年10月、第3次ダイヤ改正
今回から隴海線、蘭新線、京九線、浙カン線が提速範囲に加わった。従来、K快速が一番速く扱われていたが、今回の改正でT特快が新しく誕生し、K快速はその次に扱われるようになり、直快は廃止となった。この頃から、各地で城際列車が登場する。北京〜天津では、NJ2型と呼ばれる神州号が登場。
速度の範囲は、時速120キロ越えの距離、9581キロ、時速140キロ越えの距離、6548キロ、時速160キロ越えの距離、1104キロ。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…14時間、上海〜香港…約28時間、上海〜ウルムチ…51時間、北京〜ハルピン…13時間、北京西〜昆明…約44時間、北京〜天津…80分
2001年10月、第4次ダイヤ改正
京九線、武昌〜成都(漢丹、襄渝、達成)、京広線南部、浙カン線と哈大線が中心。ダイヤ改正に合わせて広深鉄路ではドイツICEを基にした藍箭号が投入され、時速200キロで運航を開始した。電車動車組・中原之星や試作機関車・DJ2もこの時期登場している。北京〜上海間のT特快を中心に“夕発朝着”列車という言葉が生まれ、RW19K・高級軟臥を連結した同区間の列車は、“動く星級ホテル”という別称も出てきた。RW19Kの特快への配置は03年春にピークを迎える。
速度の範囲は、時速120キロ越えの距離、13166キロ、時速140キロ越えの距離、9779キロ、時速160キロ越えの距離、1104キロ。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…14時間、北京〜ハルピン…約13時間、北京西〜武昌…12時間、北京西〜香港…約27時間、北京西〜成都…約27時間、北京西〜深セン…約24時間
2004年4月、第5次ダイヤ改正
全土のほぼ幹線区間でスピードアップが実施され、最高時速160キロの区間が増えた。新たに誕生した19本の(直達)列車は、軟臥中心の25T系客車を使い、途中駅に停車しない運転(1部列車を除く)で目的地に到着する、完全にビジネスライク向けの列車となった。北京〜上海間を同じ時間帯で、実現させたZ列車5本運行の効率はともかく、中国鉄道の迫力さが全面に出ていた。また03年の夏、瀋秦旅客専用線(瀋陽北〜秦皇島)が開通し、ボトルネックになりがちだった北京〜東北行きの幹線に新たな風穴を通すこととなり、スピードアップへの貢献も果たしている。
失敗作だったが、ドイツの技術を用い、最高時速270キロを叩き出した中華之星の動車組をはじめとする、国産高速試験列車も各地で見られるようになった。中国鉄道は、03年前後から高速列車の実用運転化に向けて真剣に取り組み、今なお試行錯誤が続いている。
またスピードアップとはかけ離れているが、週1しか運行していない今は亡き、K39/40次:北京〜図里河もまだ健在だった。
04年12月に海南島海口行き列車の誕生、06年7月に上海南駅開業、チベット鉄道開通、同年8月、敦煌行き列車開通、同年11月、合肥〜西安間新線開通と中国の新線ラッシュはまだまだ続く。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…12時間、北京〜ハルピン…約10時間、北京西〜武昌…約10時間、北京西〜香港…約24時間、北京西〜成都…約26時間、上海〜ウルムチ…48時間
2007年4月、第6次ダイヤ改正
北京〜上海〜株洲間の完全電化が完了に伴い、幹線の時速200キロ区間がいよいよ実現。日本、フランス、カナダなどの車両を基にした高速列車が投入された。列車名はCRH…China Railway Harmony(中国鉄路和諧)。主に城際列車走行区間に投入され、日帰り近距離旅行がより行きやすくなった。またダイヤ短縮により、中長距離でも、“1日到着”という言葉が生まれた。Z列車のダイヤも更に短縮され、初の2000キロを越えた営業区間、北京〜福州19時間も誕生した。中国鉄道もいよいよ全土を高速化に向けて稼動をし始めている。
主な幹線区間の所要時間
北京〜上海…10時間、南京〜上海…2時間、北京〜ハルピン…約8時間、北京西〜広州…約20時間、上海〜ウルムチ…約43時間、広州〜ラサ…約56時間
2008年8月、京津城際鉄路の開通
北京オリンピック重要プロジェクトの一環として建設が進められていた京津城際鉄路が8月1日に開通。北京南駅を起点とする時速300キロオーバーの新型車両の投入と新設計による新路線は、北京南〜天津間を所要時間70分から半分の30分へと実現させた。また京滬線を走る、済南、青島、上海行きのD列車も北京南駅起点となる。第6次ダイヤ改正の影で…
好調な中国鉄道にもひとつ落とし穴がある。それは、ダイヤ高速化をスムーズに実現させるため、普快の快速格上げによる料金の実質的な値上げや、途中駅の廃止や遅い普慢、通勤列車の運行停止が多く出てきており、沿線地元民の利用を大幅に減らしているということだ。バスとの競合に敗れて、廃止になった国際列車:昆明北〜河口/ベトナム・ハノイはともかく(これはこれで勿体無い)、例えば広深鉄路では1997年当時の時刻表だと途中停車駅が、9駅あったが、07年では石龍、東莞、樟木頭の3駅しかない。また東北で瀋陽を中心とした通勤列車もダイヤ改正の余波を受けて多くが停運に追い込まれている。
現在なお、インフラ整備面が未発達な部分があるため、列車優勢になっているが、サービス向上と割安な料金を打ち出している高速バスが更に便利になれば、根こそぎ客を奪われる可能性もある。それにCRH(和諧)料金自体、従来料金よりも割高で、2+3列の硬座幅と変わらない2等座席が特快寝台クラスと同じ料金では、安さを好む乗客にとって、実質的な値上げとなり、これも今後乗客の足を遠のかせる要因となるであろう。いくら速くなったからといって、普快の格上げや高速列車の追加を行っても、利用客が増えるという比例は必ずしも当てはまらない。
また、ファンにとっての中国鉄道の魅力とは、機関車が客車を牽引し、新旧交じり合ったさまざまな列車が同じ線路上で見られることに尽きる。高速列車登場により、便利な時代になったが、自国知的所有権とうそぶいた外国産白面車両ばかり目立つようになれば、個性的な列車を持つ、本来の中国鉄道の使命は、既に終わっているかもしれない。